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連載:幸せの上昇スパイラルの起こし方 2-4
2.私がお節介に目覚めるまで
2-4父の病からうまれた決意
退職を決意した時期、
父が病に倒れました。
人生のタイミングというのは、
偶然ではなく必然かもしれないと感じた出来事でした。
26歳の春
私は父の事業を継ぐことを決意しました。
事業を継いだ2代目。
常識的には苦労もなく、
のうのうと生きているイメージがあります。
しかし、「最大の苦難」の
始まりとなりました。
父の時代からいた、古参幹部。
新しい風をまったく受け付けない反対勢力。
沢山のいやがらせにもあいました。
それでも、なんとか実力で見返してやろうと頑張りました。
つねに実力を値踏みされていた私。
断崖絶壁に立たされていた私の背中を、
グイグイと押す出来事がありました。
まさに泣きっ面に蜂です。
売上げの40%を占める、取引先の倒産。
父の会社をついでから10年目のことでした。
もう、だめかと思いました。
「やはり自分には無理」なのかと・・・。
しかし、そんな私を支えてくれたのが亡き父の言葉。
昔気質のがんこな父。
私を一度もほめてくれなかった父が、
唯一私に残してくれた言葉。
「お前なら大丈夫」
父は、私が35歳のときに肺ガンで亡くなりました。
最後の最後、病床から私に贈ってくれた
大切な言葉でした。
私は父からの言葉で、
あきらめず頑張ることを思い出したのです。
それからというもの、がむしゃらに頑張りました。
ネットでプチプチの販売を皮切りに、
率先して営業活動に謹みました。
何度も何度も挫折しそうになりました。
そのたびに、病でありながら、
私にエールを贈ってくれた父の言葉を思い出しました。
「お前なら大丈夫」
私を信じてくれた父。
共に苦労を分かち合ってくれる仲間。
私は「人」によって活かされている。
ようやく、「人生で一番大切なこと」
に気付くことができました。
「人との出逢いを大切にすること。」
それが私の信念となりました。
次回は、45歳からのさらなる転機「お節介になる」です。
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